「で、こちらの方ですね、病人は〜。ふむふむ」
 メンテナンサーなる少女はベッドで目を閉じている彩の顔を覗き込む。その様子を美優、真澄、法子、丈一がじぃっと見つめている。
 彼らに事情を説明するのはかなり苦労した。なにせ私ですら初めての経験なのだ。どう説明していいのか分からなかった。
「マスター……。あの子、本当に別の世界から来たんですか?」
 美優がにわかに信じられないという風に言う。
「らしい。少なくとも、口振りはそんな感じだ」
「感じって……分からないんですか?」
「分からん。私だって初めてなんだ」
 この子が本当に外の世界から来た子なのか、それは分からない。だが、もしそうならば、もうこの子に全てを託すしかない。第一、この世界にいるエキストラ達では彩は絶対に治せない。なのにこんな大仰な事を言ってのけるなんて、外の世界の奴しかいない。
 少女の視線に気づいたのだろう。彩が目を開ける。
「あんた……誰?」
「だからメンテナンサーです。要請があったんでやってきました」
「要請?」
「そうです。優しいユーザー様でよかったですね。中にはそのまま放置されちゃうディスクもあるんですよ。あなた達は運が良かったと思うべきです」
「……」
 運が良かった……。正直、そんな言葉では語り尽くせないものがある。一時はユーザー様を憎んだ時すらあった。けれど、やっぱりユーザー様は私達の事を大切にしてくれた。そこには、言葉では言い表わせない心の激情があった。
 ただ、ユーザー様の我々を思ってくれる気持ちの象徴というのが、こんなおふざけた女の子だという事だけが少し悲しい。
「私があなたを治せば傷は無くなります。そうすれば、またゲームをやってもらえますよ」
「……本当?」
「嘘言ってどうするんですか? 私にまっかせてください!」
 そう言うと少女は彩の前に仁王立ちになる。一体どうやって治すのだろうか?
「よいしょっと」
「ちょっ……なっ、何する気?」
 少女はベッドに乗り、馬乗り状態になる。彩はこれから何が始まるか分からないようで、ビクビクしている。勿論、私にも分からない。
「さぁ、脱いでください」
「ぬっ、脱ぐ? 治すのには脱がなくっちゃいけないわけ?」
「そうです。だってあなた、十八禁ゲームのヒロインでしょう? だったら、脱ぐなんて大して恥ずかしくないじゃないですか」
「ちっ、違う違う! 私はコンシューマーゲームのヒロインよ」
「あれ? そうでしたっけ? てへへ、間違えちゃいました。最近十八禁ゲームが多かったんですよ」
 そう言って、少女はベットから降りる。……十八禁ゲームの場合は一体どういう事をして治すのか、非常に気になってしまう。
「このゲーム作った会社……十八禁ゲームも作ってるみたいですね」
 真澄がポツリと言う。皆、聞いてないフリをした。
「ふ〜〜」
 改めて彩の前で仁王立ちになり、大きく息を吐く少女。そして、何やら拳を握って構える。見上げる彩の顔には不安の色が見えた。
「なっ……何を?」
「ふ〜〜〜。はあぁ!」
 少女を右手を上げ、そして凄まじい勢いで、その手を振り下ろした。手は一直線に彩の腹のど真ん中に落ちた。
「&§◎★!」
「……どれどれ?」
 少女は彩の顔を覗き込む。彩は完全にノビていた。白目を向いていて、さっよりも重傷のように見える。それを見て、少女は満足気に首肯いた。
「はい、大丈夫です。終わりました。これで、ディスクの傷は無くなりましたよん」
「こっ……これで、本当に治ったのか?」
「はいです。今はちょっとヤバめに見えますが、しばらくすれば元気になります。では私はこれで失礼します。まだまだお仕事がありますんで」
 少女は可愛らしく手を振って、パッパッと病室から出ていってしまった。少女が出ていった後、皆一斉に彩に近づく。
「彩さん?」
 美優が彩の頬を突く。が、反応が無い。
「さっきのが決め手になったか?」
 泰紀が彩の胸をむんずと掴む。
「ふむ。……こりゃ、十八禁じゃやっていけねえわな」
 そう泰紀が言った瞬間、彩は起き上がり、泰紀の顔面に強烈な頭突きを放った。
「♀#!α〆!!」
「やめぇい!」
 その場に倒れてしまった泰紀は、勿論今の言葉など聞いていなかった。だが、今はそんな事はどうでもいい。
「彩! 元気になったのか!」
「えっ? ……そう言われれば、何とも無いわねぇ」
「良かったですぅ!」
 法子が彩に抱きつく。その顔はもう涙でいっぱいだ。丈一、真澄、美優も目尻に涙をためていた。
「あの子……何だかんだでちゃんとやってくれたのね」
「そうみたいですぅ。ううっ……ちーーん!」
「うげぇ! やめえいぃ!」
 自分の服で鼻をかんでしまう法子に、彩はこれでもないという程の嫌な顔をした。もっとも、それでもその顔はどこか嬉しそうに見える。
「……」
 あっと言う間に、前に戻ったような気がした。私は全身から不安と先の見えない恐怖が抜けていくのが分かった。もう、緊張も何もかもが消えていた。
「やっと落ち着きましたね、マスター」
 真澄が私を持ち上げる。定位置につき、私はこれでやっと本来の日々が戻ったな、と感じた。法子の反乱と彩の行動不能。大きすぎる峠だった。だが、もう何も心配する事は無い。
「だな。……ユーザー様、ちゃんと修理に出してくれたんだな」
 法子と陽気にはしゃぐ彩を見つめながら、ぼやく。
「よかったですね。本当に」
 丈一も法子に負けじと半ベソになりながら答える。そんな丈一の背中を、美優が優しく撫でる。どちらが年上だか分からない。
「反省しなくっちゃいけませんね。一時でも、ユーザー様に対してよくない気持ちを抱いてしまった事を」
 美優は苦笑いして呟く。
「だな。もっとも、ユーザー様はただゲームをやりたかっただけだと思うがな」
「でもそれって、私達の思いでもありますよね?」
 真澄が蛍光灯の瞬く天井を見上げながら言う。丈一も美優も、私も上を見る。私はそこにいるはずのない、天上人の姿を見ていた。
「まったくだな」
 そう、我々も同じ気持ちなのだ。ゲームをやりたいユーザー様と、ゲームを成功させたい私達。立場は違えど、気持ちは同じなのだ。
 姿も考えも知らない、別の世界のユーザー様。あなたが何を考え、何を思ってこのゲームをやってるかは分からない。でも、それでも、私達はあなたの前でゲームを演じられる事を嬉しく思う。
 ほんの少しでも、このゲームに費やしてくれた時間が有意義だったと感じてくれれば、私達は満足なのだから。


 降りしきる雨の中、泰紀が息を切らしながら街を疾走している。夜空には黒い雲が立ちこめ、視界は無いに等しい。それでも、泰紀は懸命に走り続ける。
「はぁ……はぁ……」
 泰紀は彩を探している。何もかもを話し、迷いの森に墜ちた彩を。彩は一体何をしようとしているのか、泰紀には分からなかった。だが、走らずにはいられなかった。
 検討はついている。そう。それは泰紀が右腕を失ったあの道。あそこに彩はいる。泰紀はそう確信していた。
 夢中で駆ける泰紀。それを懸命に追いかける伊藤ちゃんと私、法子、美優、丈一、真澄。
私達の胸は嬉しさに満ちていた。今こうして、私達はゲームを演じる事が出来る。その嬉しさに、心が踊っていた。
 彩の命を救い、我々の絶望を消してくれたユーザー様が始めたのは、クライマックス直前のあのシーンからだった。
「彩!」
 泰紀が立ち止まる。その先に彩の姿があった。まるで幽霊のようにおぼつかない足取りで彩はフラフラと道を歩いていた。泰紀の呼び声にも耳を傾けようとしない。ズブ濡れで、その姿は弱りきった子犬のようだった。
「彩!」
 もう一度彩の名を呼ぶ泰紀。その演技に、もはや文句の付け所など無い。気合いと自信に満ちた素晴らしい演技だった。
 その時、彩が光に照らされた。その光は太陽でも月の光でもない。それは、道の向こうからやってきた車のライトだった。
 彩はその場から動こうとしない。車が激しくクラクションを鳴らす。それでも彩は動かない。泰紀はいても立ってもいられず駆け出す。
 泰紀が彩の体に触れるのと、車が彩の体にぶつかるのはほぼ同時だった。泰紀の手が彩の体を包み、車の突進をかわしたのも、ほぼ同時だった。
 車は激しく蛇行しながらも、そのまま二人には当たらずに走りすぎていった。勢いで倒れる泰紀と彩。泰紀は片腕で抱いた彩の顔を覗き込む。
「彩……どうしてこんな事を……」
 雨に濡れた顔で、彩は言う。涙は雨に濡れて分からない。
「私……よく分かりませんでした。気持ちを打ち明けてくれたあなたの気持ちが」
「……」
「同情だと思いました。私を愛してくれれば、あなたは右腕を失った事も、仕方ないと諦めきれるのだと。でも、私もあなたが好きだった。出来れば、そんな気持ち無しで愛してほしかった……」
「……」
「こうすれば……私も腕を無くせば、私とあなたは一緒になれると思いました……。同情なんか無くて、純粋に、ただ腕の無い者同志として」
「……」
「私、なれましたか? あなたと一つになれましたか? まだ腕ついてますけど、なれましたか?」
「……なれたさ。まだ、腕はあるけどな」
 涙をこぼし、笑う泰紀。彩はにっこりと笑い、両腕で泰紀に抱きついた。そして二人はズブ濡れのまま、口付けを交わした。


「くううぅぅ! 感激ぃ!」
 夜空に浮かぶエンドロールを見上げながら、彩は歓喜の雄叫びをあげる。伊藤ちゃんのカメラはエンドロールの浮かぶ夜空に向けられている。今、ユーザー様のテレビ画面にはエンディングテーマの曲が流れているはずだ。
 今ようやく、巨大な波が過ぎ去った。
 エンドロールが終わらない限り、雨を止ませる事は出来ない。しかし、彩を始めとする皆は雨が降っていてもお構い無しにはしゃいでいた。勿論私もその輪に加わっていた。
「マッスター! やりましたね!」
 彩が私を抱き上げ、これでもかと言う程強く抱き締める。苦しかったが、その苦しみが吹っ飛ぶ程に、私も嬉しかった。
「やったぞ! 彩! エンディングだ、エンディングだぞ! 夢にまで見たエンディングだ! ああっ生きてて良かったぁ!」
「ううう! エンディングだぁ。今度は私がいいなぁ」
「私の台詞です、それ」
「いやいや。私の台詞よ」
 またまた半ベソの法子に、相変わらずすました美優、余裕な感じの真澄。口ではあんな事を言っているが、抱き合い、喜びを分かち合っている。
「泰紀! 遂にやったね!」
「おうよ! この感激は一言じゃ言い表わせないな!」
「だね!」
 泰紀と丈一は肩を抱き合い、雨に濡れて笑い合う。
 皆の顔と体から喜びから滲み出ていた。そこにはもう、演じる事への疑問、ユーザー様への嫌悪の念など欠片もありはしなかった。
 長かったのか短かったのか、よく分からない。山があり谷があった。喜びがあり、絶望があった。それら全てを思い起こし、そして残ったのはエンディングまで迎える事が出来たという満足感だった。
「マスター。次は一体誰なんでしょうね?」
 水溜まりのある道に大の字に寝そべりながら、彩が私に言う。私は彩の胸に乗る。
「さあな。まっ、すぐにまたお前って事はないな。法子か美優辺りなんじゃないのか?」
「ですよねぇ? やっぱし私ですよねぇ!」
「法子さん、人の話聞いてました? 私の名前も出てたじゃないですか!」
 法子と美優が私の両側から掴む。
「いででででで! やめろ! 二人共。私を引っ張っても何も変わらないぞ!」
 そう言っても、二人は私を離そうとはしなかった。
 もうそろそろエンドロールが終わる。次は一体どうなるのだろうか。もう、これで終わってしまうかもしれない。すぐにまた新しく始めてくれるかもしれない。
 正直、どちらでもいいと思う。治してくれた上に、一度でも最初から最後までやってくれたのだ。それだけで私は満足だ。この子達だって、こんなに喜んでいる。これ以上望むのも高望みかもしれない。
 でも、もっと本当の気持ちを言うならば……隅から隅まで、それこそもう私達のやるべき事全てを見てほしい。私達が見せられる全ての演技を、見てもらいたい。
 そう、あなたが私達の命の宿ったディスクをゲーム機に入れる限り、私達のゲームは永遠に終わらないのだから。

                                                                           終わり


あとがき
長い作品にお付き合いくださいまして、本当にありがとうございます。
この作品が生まれた理由は、普通にテレビゲームをやっている時でした。「もしかしたらこの敵も誰かが操っているとしたら‥‥」。そんな事を思った時に生まれました。最初はRPGの設定だったのですが、恋愛シュミレーションの方が面白いアイデアが浮かんだので、結局そちらにしました。
そこで結構考えたのが性格。普通の恋愛ゲームは顔と性格が一致している事が当たり前ですが、この作品はあえてそれを壊そうと思った、という狙いもありました。成功したかは分かりませんけどね。
何にしろ、とてもスムーズに、簡単に書けた話でした。


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